親の死は辛いもの。だからこそ看取りを通じてわかったことがあります

Classic black analog alarm clock on rustic wooden background, perfect for time and nostalgia themes.

こんばんは草川です。

親の死というのは誰もが避けられないと言っても過言ではなく看取りをしないといけないような状況が来ると思いますがこれは誰にも共通することなんですね。

私も3年前に両親を看取り、家族の介護をやっている人間ですが本当に1人で全部やってきたというのは良かったのかどうかというふうに思えるといい経験になったという風に私は言えるんです。

誰からもお金を借りることなく自分の力で何とかしてきましたし、強運だったのか本当にいいタイミングでお金が入ってくるというようなこともありました

親の死というのは辛いものですし後のことをしなければいけないというようになると大抵の人が逃げたくなるでしょう。

でも私は逃げませんでした。

この経験はあなたにお話しすると同時に自分の運命からは逃げられないよということについて今回はお話をさせていただきたいと思います。

人生は長いようで短いもの

人生は長いようで短いものという風によく言われますが何年生きるかっていうのははっきり言って分かりません。

私の両親は80年生きてきた中でも本当に両方とも80代後半でなくなったということが本当につらかったと言ってもいいのではないかと思います。

昭和世代の考え方が抜けられない両親でしたが、それでも家族のためにということで本当に孤軍奮闘してくれた親に対しては本当に感謝の心しかありません。

私ができることはお墓参りをすることによって両親に供養をことでしか自分のことを表現できないと言っても過言ではないんです。

人生をどのように生きるのか、どうやったら最高の人生を過ごせるのかということに関してですが本当に私自身も色々なことを考えさせられると言ってもいいでしょう。

でも個人的に、両親の死というのは本当に辛いということもありますがそれ以上に自分を成長させるための最後の親孝行だったのではないかなというふうに思っています。

だからこそあなた自身もこの辛い状況を乗り越えるためにも今の状況を受け入れるということをやらなければなりません。

あなたの親戚もあなたを周りの人も誰も助けてくれないとは言え自分で何とか乗り越えていく力をつけたらその力というのはやがてあなたにとってプラスに働くことでしょう。

だからこそ人生は長いようで短いものであるということを考えると同時にあなたも病院のベッドで後悔するようなことがないように精一杯いきましょう。

親の看取りを通じてわかったこと

Misty sunrise over a Hampshire cemetery with gravestones and trees in the fog.

親の看取りを通じて分かったことがあります。

先程も話したように人生は長いようで短いものだという風に考えると親が先に死ぬということがあるかもしれませんが子供が先に死ぬというのは親不幸ものという風に言いますよね。

親の看取りをするっていうのは本当に辛いことかもしれませんが私が感じたことについていくつかシェアしますね。

親はいつか死ぬ

私の両親が違う病院であれ看取りをしたのは私自身だったので私自身ができることというのは親を供養するということ以外もうありません。

人はいつか死ぬように親が先立つということがほとんど決まっているのではないかと思いますが親は子供の幸せを願って子供に遺せるものは大抵の場合遺しているでしょう。

だからこそ大事になってくるのはあなた自身が生きるという選択肢を選ぶということです。

あなたがなくなる時誰かがそばにいて看取るというようなことがあるかどうかは分かりませんがないという選択肢になってしまったら最悪だと言いますね。

あの世にお金は持っていけない

あのようにお金が思っていけるという風に思っている人はまずお金に執着している人間ではないかと思いますがお金の執着は私はもうだいぶ外れました。

今ではお賽銭をすることに3000円ぐらい出していると言ってもいいぐらい抵抗感はありませんし以前の私だと3000円払うだけで文句を言っていたぐらいです。

しかし亡くなれば六文銭だけしか持っていけないと言っても過言ではありませんのであのようにお金を持っていくということなんてできないです。

あなたがどんなに偉い人であったとしても死ねばみんな同じだということなので別にあの世の人は特別扱いしているわけではないと思います。

ですのであなた自身もあの世にはお金は持っていけないという風に理解しておけばお金の執着なんて自然に外れてくるでしょう。

生き金をどんどん使うべき

運気アドバイザーであるきょうかさんのサブスクでいつも学んでいますが、そこできょうかさんは「生き金を使いなさい」といいます。

私自身もお金に執着していた時本当にお金を使うこと一つで文句を言っていた人間だったのですがきょうかさんとの出会いによって人生が大きく変わりました。

このブログでも書きましたが私自身はどん底に落ち生活保護も受けたことがある人間ですので、きょうかさんの意見は最初は受け入れられることができませんでした。

しかし言う通りにやってみるとなぜか人生がうまくいき始めて運の流れも変わってきたと言っても過言ではありませんが常に私は報連相をしています。

自分のためにお金を使うそして他人のためにお金を使うこの辺りは日々使う中で改善していけばいいと思いますがお金を貯金する行為というのはもはや私から言わせれば自殺行為だと言ってもいいのでやはりお金は循環してこそ意味があると言うのではないかと思います。

目標設定をしっかりする

私の目標は何なのかという風に言われるとはっきり言ってわからないというようなことがありますが目標がないということは叶わないと言っても過言ではありません。

私の目標はざっくり書くとこのようなものです。

  • 弓弦羽神社で1万円お賽銭する
  • 拠点をビレッジハウスに住む
  • 年収700万を稼ぐ

まずはこの3つのうち叶えられる目標の1つの中にお賽銭を1万円入れるということを私はやっていますがこれは弓弦羽神社にいったことがあるのでできないということではないのですぐでも達成可能だと言えます。

ヴィレッジハウスに住む、年収700万円稼ぐという目標については収入をとにかく上げていくということなので私は3年ぐらいを目処に予祝をやっています。

目標設定をしっかりしないと本当に信念がぶれてしまうと言ってもいいので目標設定もきちんとやるというのは当然でしょう。

けちくさい人生を送ればそれだけバカを見る

先日神戸の生田神社、そして弓弦羽神社に行きましたが、お賽銭の額と今はほとんどの人が10円から100円というようなレベルだったことに対して私はお札で1000円以上入れました。

生田神社の場合は2000円、弓弦羽神社の場合は1000円ということで最低これくらいは入れなければいけないというボーダーラインは達成していると思います。

しかしこれは以前の自分自身であったとしてもできなかったことから見ればすごく成長しているんだなという風に思う部分があります。

ケチな人生を送っていれば節約することばかりを考えそしてストレスのたまるようなことがあると言ってもいいぐらいお金の循環が悪くなるでしょう。

節約をするということはそれだけ本当に人生を疲弊させるというような行為につながりかねませんので私はまずできるところから始めるということをやっています。

けちくさい人生はもう卒業して、リッチの人生を過ごした方がいいですね。

もうあなたの人生はあなたが決めていこう

A notebook featuring a checklist with a marked 'Yes' box, captured in a close-up shot.

人生はあなたが決断していかなければいけないと言っても過言ではありませんが誰かがあなたの人生に内政干渉している段階でアウトです。

それは他責思考につながると言ってもいいぐらい本当にろくな人生を歩まないと言ってもいいのではないかと思いますが私も個人的には自分で決めていくことこそが自分ファーストできるということだと思っています。

最初にもお話ししたように私には親がいませんし家族と言える人は自分の兄だけだと言ってもいいと思います。

その兄も介護していると言ってもいいぐらい本当に色々なことをやらなければいけないという風に考えた時に自分の人生はどのようにして生きていくべきかという風に考えさせる部分があります。

もちろん兄のことも介護しなければいけないので本当に大変なことは大変ですが今自分は手足が動くので自分ができることを中心にやろうという風に決めたんです。

兄は私自身が身元引受人になっている限り施設に任せるということができるので私自身も対応をしていかなければなりませんが自分の人生を犠牲にしてまで兄のことばかりに構ってられるということもできないんです。

あなたの人生はあなたが決めていき今この瞬間から自分はお金持ちになっていいんだという風に宣言するんです。

今はお金がなくてもお金持ちだという風に思えばいいですし私自身もそのようにしてきょうかさんから教わったことを愚直に実践しているんです。

見えや体裁でやっているわけではなく自分が本当に心からお金に好かれる人間になるためにもお賽銭を常に1000円以上やろうということを決めているんですね。

もうあなたの人生は自分で決めていいということを宣言して前に進んでいきましょう。

まとめ

親の死は本当に辛いものだという風に思うと親の死があったからこそあなた自身が乗り越えられる壁というのがあったのではないでしょうか。

私は本当にどん底を経験して生活保護まで陥った人間ですがそれでも自分自身はこれからお金持ちになってやるという風に思い1年後自分はお金持ちになっているということを予祝して今こうしてあなたの元にブログを書いているんです。

親の看取りを通じてわかったことは親はいつか死ぬということはもちろんのことながらあなた自身が世帯主になってどうこれから人生をプランニングしていくのかということを決められる時がいつ来ます。

その時に慌てずにお金があれば大抵の問題は解決します。

ですのであなた自身も今のうちから自分がどんな目標に対してどういうことをやらなければいけないのかという目標設定をきちんとしておくということが大切です。

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